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> 【マンガ】ギャグマンガの先鋭と継続2
ギャグまんがに関する議論(先鋭性とか継続性とかなんとか)・2
1.面白さと継続性の比較について
2.先鋭性と継続性の比較について
結局、たーかいサンが、私の書いた1にコメントせず、2・3にのみ突っ込んだことが、この議論のスレ違いを象徴していると思うんですけどね。
王室さんが1で「好み」と書いてますが、「個人的嗜好」の範疇なら仕方ないかなと思ったので、あえて1にコメントしなかった次第です。当初の「面白>先鋭」というナンセンスな比較も、個人的嗜好の範疇なら、自分の中だけでは無意識にできるのかもしれないなと思いました。前も書きましたが、ワタシが(身分不相応に)ややマンガ家寄りの立場で、王室さんが読者寄りの立場(?)に立ち、しかも一方は理想論で、一方が個人的嗜好の範疇なら、意見がかみ合わないのも当然かもしれません。

それはどちらかが正しいとか間違っているという質ものでない以上、如何ともしがたいのではないでしょうか。
これはある意味合っていて、ある意味間違い。両者の「嗜好」なら議論する意味はない。しかし、ワタシにとっては「理想」なので、「先鋭≒継続」が(ギャグマンガ家と読者両方にとって)最も望ましいと思っています。だから、もし王室さんが「好み」というのを自身の「理想(像)」と混同しているなら、議論のする意味はあると思います。

3.その他(具体的な作家についてなど)
別に具体的な話、作家や作品の話をすることはやぶさかではないですが、発端となった私の見解が「観念」であるため、具体的な話にはそぐわないし、それを持ち出しても(今までそうだったように)混乱を招くだけだと思ってます。
また作品・作家を比較する際には、「好み」「価値観」がどうしても絡んでくるわけで、具体的な話に先んじて観念をはっきりさせておく必要があるのではないでしょうか。

いやもう互いの観念的な話は十分できてると思ってます。で、その話だけではよく変わらないから具体例を示してるワケです。最初から「先鋭>継続」という比較をしてるんだから、作家の比較なり、作品の比較なり具体例を示すのが当然の流れだと思うし、それを示すと「混乱を招く」とは思いませんけどね。それに、どの作品がどう先鋭的かぐらい、客観的にもわかると思いますけど。

4.こち亀について
長さ、って言ったら怒られそうですね。色々あるんじゃないんですか?
ギャグと劇画の融合にしても、ギャグタッチを交えたり、あからさまにギャグっぽい表情を使ったりはしなかった点をとっても、川崎のぼる、みなもと太郎、山上たつひことは一線を画してると思うし、両さんの不良警察官というキャラも、警察官の仕事がきちんと取材されていたからこそリアルで、あんなギャグマンガの主人公はそれまでにはいなかった。

王室さんの指摘した「ギャグの表情を作らない」というのは、山上たつひこの『喜劇新思想大系』とかの影響だと思いますけどね。山上に限らず、照れ屋な手塚治虫もその傾向はあったと思います。例え、劇画初とか、警官モノ初とかに限定しても、それは今まであった要素の寄せ集めにすぎなくて、「先鋭」ではないと思います。初期のペンネームも含め、作者本人にも「先鋭」の自覚はなかったんじゃないかな。

ギャグとしての実験的部分も目立たないだけで、たくさんあったと思います。それは144巻分のコミックスを並べるだけで解るんじゃないでしょうか。
144巻並べただけでわかるのは「継続」であって、そこから「先鋭」は解りません。

もちろん、全て「先鋭」の解釈を広く取ってのハナシですけどね。
ちょっと「先鋭」の意味を広く捉えすぎではないでしょうか。
例えば、どこまで共感できるかわかりませんが、初期から中期にかけての手塚治虫、『ホモホモ7』の頃のみなもと太郎、『レッツラゴン』の頃の赤塚不二夫、『まことちゃん』の頃の楳図かずお、『喜劇新思想大系』の頃の山上たつひこ、『バイトくん』の頃のいしいひさいち、『マカロニ』の頃の鴨川つばめ、『パイレーツ』の頃の江口寿史、『不条理日記』の頃の吾妻ひでお、『Dr.スランプ』の頃の鳥山明、80年代後半のとり・みき、『サルまん』までの相原コージ、『炎の転校生』の頃の島本和彦、初期のしりあがり寿、『伝染るんです』の頃の吉田戦車、『しあわせ』の頃の桜玉吉、『あささわ』の頃の上野顕太郎、『稲中』の頃の古谷実、『バカドリル』の頃の天久聖一、『血まなこ』の頃のおおひなたごう、『酢飯疑獄』の頃の施川ユウキ、などなどetcetc…。個人的には、このレベルを「先鋭」と位置づけています。つまり、いしかわじゅんが言うところの「第一線」というレベルです。

だから辛かったら/描くものがなければ辞めるのは構わないと思う。だからといって江口のようなスタンスは許されるべきではないですけど
少し言い方を変えると「描くのが辛かったら/面白いギャグを描く努力をすることをやめる」のは是か非かということです。結果残念なことに面白くなくても、面白いものを描こうとする努力はしてほしい。ギャグマンガ家を自負するならするべきだ、ということです。ただし、それは非常に困難なことだというのも解っているので、だからこそ「継続」していることを評価すべきと言っています。
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by turkai | 2005-01-01 00:00 | マンガ

同人サークル「ロイたー共同」で、マンガ研究同人誌「とり扱説明書」を発行していますが、このブログは自分を中心に半径5m以内に向けて発信している雑記なので、最新情報とかは期待しないでください。
by turkai
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