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創作の現場から見るまんが論(12/7)
朝日カルチャーセンター新宿校で、みなもと太郎先生と大澤信亮さんの講座「創作の現場から見るまんが論」が開かれたので行ってきました。
以下まとめますが、いつも通りメモの起こしなので、公式な発言としてとらず参考程度に。引用も禁止です。なお文中すべて敬称略です。文末の()は発言者を示します。表記のないものはみなもと先生の発言です。 創作の現場から見るまんが論「ギャグまんがの作法」 ■前振り ・本来はみなもと太郎と大塚英志の講座の予定だったが、大塚が体調不良のため、過去に「新現実」でみなもと太郎にインタビューをした大澤信亮が司会を務める(主催者) ・ギャグマンガ家が笑いやギャグについて正面から語ることはあまりなかったのではないか。数少ない例として、赤塚不二夫「ラジカルギャグセッション」、相原コージ「サルでも描けるまんが教室」、しりあがり寿「表現したい人のためのマンガ入門」などがある。(大澤) ・「ラジカルギャグセッション」の中で、タモリやビートたけしは高信太郎が発掘したことになっているけど、タモリもビートたけしもあまり認めたくないだろう。 ・ギャグマンガ家がお笑い芸人と交友関係を持って、マンガにプラスになることが多いとは思えない。 ■ギャグマンガの歴史 ・樺島勝一「正チャンの冒険」も田河水泡「のらくろ」も宮尾しげを「団子串助」も子どもからみて別世界を描いている。子どもにとって生活圏内を舞台にしたマンガは横山隆一「フクちゃん」が最初ではないかと思っている。 ・当時、マンガそのものは「笑い」と直結したものではなかった。笑い転げるようなマンガはそういくつもあったわけではない。にも関わらず実生活において頓珍漢なことをすると、映画や舞台の喜劇に例えるのでなく、「まるでマンガだ」と例えられることがずっと不思議だった。 ・前谷惟光「火星の八ちゃん」「13号発進せよ」について。全体のストーリーが乏しく、ヒキで連載が続いていくルーツは紙芝居にある。当時は単行本にといまとめて読むことを前提に描いてはいない。起承転結を意識し、再録に耐えうるマンガは手塚治虫「ジャングル大帝」あたりから。 ・ギャグマンガという言葉が一般化したのは赤塚不二夫以降。ただし「ナマちゃん」の頃はまだゆかいマンガ、生活マンガ、ユーモアマンガだった。ギャグという過激な言葉がマンガで用いられたのは南部正太郎「ヤネウラ3ちゃん」。 ・文化文政の時代にすでに子ども向けマンガ(のちにそのルーツとなるもの)は存在していたが、学者や研究者はこれら子ども向けのものを研究の対象からオミットしている。子どもに向けたものは最初からバカにされている。 ・ポンチ絵と呼ばれていた頃の方がまだマンガ家の地位は高かったが、子ども向けのマンガが増えたとたんマンガ家の地位は下がった。それはこの国がずっと子どもを大事にしてこなかった証拠である。長谷川町子が貰った国民栄誉賞を手塚治虫が貰えなかったのは、子どもに向けたマンガを理解しなかった政治家がいたから。 ・みなもと太郎が中学生のときに描いたマンガは富永一郎の影響を受けている。みなもと太郎は赤塚以前に富永一郎でギャグの魅力に取り付かれた。富永が有名になったのは週刊誌で1ページ連載をやりだしてからだが、みなもとが影響を受けたのは文芸誌で16ページの連載を描いていた頃。あの時代では最高のエロだったと思う(谷岡ヤスジ以前)。 ■米澤嘉博について ・ギャグマンガの歴史を振り返ろうとしたとき、それについて書かれた本は、米澤嘉博「戦後ギャグまんが史」しかない(大澤)。 ・米澤嘉博は「少女まんが史」「SFまんが史」「ギャグまんが史」で、それぞれエロ・グロ・ナンセンスを書き、それらは戦後、手塚マンガと符牒を合わせたということを書いている。 ・戦前のマンガの入門書にすでに「エロ・グロ・ナンセンス」という言葉は出ている。おたふくが大きな松茸を抱えて笑っているモチーフに対する説明。 ・米澤嘉博「戦後ギャグまんが史」の本文に「ホモホモ7」は書かれていない。どうも当時の米澤嘉博はギャグマンガ家としてのみなもと太郎より、少女マンガ家としてのみなもと太郎に強い思い入れがあったようだ。当時は自分がギャグマンガ家か少女マンガ家か、自らをカテゴライズすることはなかった(今は結果的にギャグマンガが多いのでギャグマンガ家を名乗っているが)。 ・歴史マンガでギャグを描くことを特別視する人がいるが、舞台や映画では昔からやっていて、そこに垣根はないはずなのに、なぜマンガだけそのように見られるのか不思議だ。 ■シリアスとギャグの関係について ・ギャグとシリアスは相反することではない。 ・「ホモホモ7」の面白さの本質は、パロディの出典を探すことではなく、劇画調の絵と落書きみたいな絵が同居してるところにある(大澤) ・シリアスのなかに、ギャグを入れることは(手塚のヒョウタンツギなど)、昔はよくあったことなのに、ある時期からシリアスはシリアスに、ギャグはギャグっぽくという方向付けができてしまい、それに反発して描いたのが「ホモホモ7」。 ・悲劇を書く者に喜劇は書けないが、喜劇を書く者は悲劇も書ける。黒澤明が起用した役者も圧倒的に喜劇役者が多い。 ・昭和30年代頃には、学年誌でユーモアマンガを描いているマンガ家がそのままの絵柄で名作文学(三銃士、ああ無情、三千里など)をマンガ化することもあった。 ・やがてシリアスとユーモアマンガがはっきり分かれるようになり、みなもと太郎は違和感を抱いていた。同じく当時シリアスな劇画を描いていたマンガ家の中にも、作中に(無意識に?)ギャグを入れてしまう人もいた。園田光慶「アイアンマッスル」。 ・原作の「レ・ミゼラブル」の中にも、笑いを誘うシーンがあり、これは明らかにビクトル・ユーゴーは読者に対して笑わそうとしている。シリアスだから笑いが一切無いというのはあり得ない。乾いた笑いも必要。 ■杉浦茂について ・読んでいて幸福感を得られるマンガは杉浦茂が最後だったような気がする。 ・近年いろいろ復刻されているが、本命であるところの雑誌連載版「猿飛佐助」が焦げ付いていて、これが出ないことには死にきれない。 ・戦前の浅草喜劇がいかに面白かったか。喜劇役者・渡辺篤など。杉浦茂は浅草でそれらを見ていたはず。 ■赤塚不二夫について ・「おそ松くん」の時代と、「天才バカボン」の時代、2つを創造したことは別格であり、天才である。 ・植木等の影響で「スーダラおじさん」というマンガを描いた1ヶ月後ぐらいに「おそ松くん」が開始している。 ・近年、長谷邦夫や高井研一郎や武居俊樹らが、当時を振り返ったものを書いているが、赤塚不二夫がまとめていなければ「天才バカボン」は世に出ていない。 ・現在は(一般的に)起承転結の構成になっているギャグマンガや三頭身のキャラは編集から断られることもあるらしく、何が何だか判らないマンガでないと採用してくれないこともあるらしい。足立淳の持込マンガによると「分かるマンガは要らない」と言われたそうだ。 ・週刊誌の4~5ページマンガも、いしいひさいちの出現以降は、(吉田戦車やしりあがり寿らによって)4コマが主流になり、高信太郎やはらたいらなどが追われてしまった。 ・1コママンガがなくなりつつあることも、ゆゆしき事だと感じている。 ■谷岡ヤスジについて ・「ホモホモ7」以前にシリアスとギャグの親和性にアプローチした人はいる。谷岡ヤスジもデビュー直後ぐらいに劇画4コマを描いている。 ■山上たつひこについて ・70年代前半に山上たつひこに会ったときに「ホモホモ7で目が覚めた。シリアスものはもう描きません」と言ってきたので、何らかの影響は受けてくれたのだと思う。 ・「がきデカ」ぐらいから、明らかに赤塚否定という姿勢を編集部も持つようになった。 ・当時はまだ漫画界全体を網羅して見渡すことができたが、「お楽しみはこれもなのじゃ」を書き上げた直後ぐらいから、マンガ雑誌の数が増えて読み切れなくなった。 ■鳥山明について ・「Dr.スランプ」はギャグそのものより作画に驚いた。 ■高橋留美子について ・ちょうど(みなもと太郎本人が)忙しい時期で、時代の変わり目を掴み切れていない。高橋留美子はアニメの方面で可能性がある気はしていた。 ■上野顕太郎について ・ギャグは他と違うことをしていかなくてはならない。そう考えると今一番我が身を投じて闘っているのはウエケンである可能性は高い。ただあれをやり続けていると心身共にいけません。あれは20年も30年もやり続けるものではないです。 ・みなもと太郎は連載を4~5本持っているときでも、すべてギャグマンガではなかったし、月産100ページ以上は描かなかったので、ギャグ漬けになることはなかった。 ・脳味噌も筋肉と同じく老化する。轍が出来て同じ思考しかできなくなる。常に新たなものを生み出していくのは生物学的に不可能である。 ■失踪日記について ・はたして吾妻ひでお「失踪日記」はギャグマンガなのか?一番苦しいときのことを描いて、それが共感を得ているわけで、決してナンセンスではない。 ・ナンセンスは出来が良いほど(世間から)バカにされる。 ・ギャグマンガが哲学的になり分からないマンガの方が社会的地位は得やすいのかもしれない。誰もが分かるマンガを描くマンガ家の方が偉いと思うが、世間からはバカにされている。 ■腐女子について ・なぜ「ショタコン」なのか。横山光輝を語る上でのキーワードは親近感である。当時日本中の小学校でアトム派と鉄人派のマンガ論争が起きていた。両方ロボットモノであるがアトムは他者な印象を受ける。鉄人は人間との距離感が近い。鉄人は家族の振りして後ろに立ってる(笑)。三国志で10万人の戦いを描いても身内5人で物語が進行するところが横山光輝の親近感である。ショタは本来エロではなく、安心できるキャラクターである。そこに腐女子が惹かれるのではないか。
by turkai
| 2007-12-08 11:55
| マンガ
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