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雑誌の黄金時代は甦るのか@ジュンク堂トークセッション
山崎浩一と永江朗のトークセッションに行ってきました。
「雑誌のカタチ」の刊行記念ということで、レアな古雑誌を持ち込んで、面白い話が聞けました。一部紹介します。 ●このようなタイトルのトークセッションを、雑誌の売り上げ比率が日本一(?)低いジュンク堂で行うのは因縁めいている。 ●「雑誌のカタチ」はより書き下ろしを加筆するより、早く出版することを優先させ、価格も2000円以下に抑えたかった。 ●雑誌の黄金期とは「雑誌的なモノを雑誌が独占していた時代」で60~80年代(バブル期まで)がそれにあたる。団塊の世代がマスコミを仕切っていたとも重なる。 ●山崎が大学に入った72年前後に、ワンダーランド、ぴあ、ロッキンオンあたりが創刊される。一時期ロッキンオンでも連載(依頼投稿)を書いたが、ライターに原稿料が払われないのに、渋谷陽一はポルシェに乗っていて、嫌気が差して辞めた。 ●大学生協でライターのバイトを見つけたが、面接に行くとそこは総会屋雑誌の編集部で、編集長が岡留安則だった。岡留の弱みも握っているが今は暗黙的に「お前が言わなければ俺も黙っておいてやる」という間柄。 ●主に宝島とポパイはほぼ創刊から関わった。堀内誠一はポパイは好きではなかったらしい。当時宝島は好き勝手に書かせてくれたが、ポパイはそうではなかった。 ●現在では誰もやっていないが、山崎浩一は宝島時代も自分で版下を作っていた。版下の作成は楽しく、ずっと作っていたいので、いつまで経っても作業が終わらなかった。 ●81年頃、ポパイの編集部に田中康夫が遊びにきて、帰った直後、田中を起用すべきか否か編集部内で激論となった。主に田中より上の世代が「あんな恥ずかしいヤツは使うべきではない」と反対し、下の世代は賛成していた。この頃から雑誌の土台がズレはじめた。 ●雑誌作りはチームワークが重要。特に編集長が交代すると、手柄を立てようとして、以前の編集長の頃の好評な企画を打ち切ってしまい、大半の場合において編集長の交代は裏目出ることが多い。 ●マルコポーロではペンネームで、いろんな雑誌編集部の内情を暴く連載を書いていた。ペンネームだからバレないと思ったが(隠したつもりの)文体でバレていた。
by turkai
| 2006-12-01 10:43
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by turkai
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